ご説明させていただきます。
そろそろ書くことが無くなってきた今日この頃。
でもキーボード使いたいので適当に書いておきますね。
最近好きになった作家さんがおります。
Twitterやらで度々話題に上がって万バズとかもしていらっしゃる人なので、知っている人は知っていると思います。ので、この場であえてお名前は出しません(書くとしてもまた今度まじめにやりたいので)
その人は「200字で済むことを頼まれてもいないのに4000字使って説明してさらにエキストラホイップ(+50円)する」人でした。
いやどういうこと。
でも、それになりたい。
社会人になって、というか社会に出るようになってから、端的に説明することが求められるようになった。
小学生のころから二次創作とかいうグレーゾーンの沼にどっぷりハマり続けた私は、小説を読むことも書くことも好きな子であった。
だからこそ、説明の時もッ起承転結を順序だてて説明することが得意だったし、プレゼンなんかの時もストーリー性を重視してたし、なんなら作文感想文小論文はみんな友であった。
しかし、大学生の頃からすべては変わる。
小学生の頃は、起承転結を大事にしろだのなんだのと訴えてきた大人たちは突然、仕事や研究課題のこととなると「結論から言って」と矢継ぎ早に結論を求める。
それでも最初は癖が抜けなくて「つまりどういうこと?」と聞かれたり、果ては全部の話を聞いてもらった後に「つまりこういうことだよね」とシンプルに一言でまとめられてしまった。
ああ、そういうものなのか。
そういうものなんだな。
わかった、そうなろう。
これが恐ろしい適応であった。
基本的に言われれば、具体的な例を見せてもらえれば割となんだってできる器用貧乏である自覚はあった。
そして、一つ新しいことを覚えたらそれはもう「上書き保存」しかできなくて、前のデータを一切活用できていないことも自覚はあった。
だから、つまり、なんていうかその。
お話を書くのが、めちゃくちゃ下手になった。
文字をたくさん書けなくなって、ウンウン唸りながらひねり出した文字数は、波に乗っていた時の半分くらいに収まるようになった。
社内チャットは3行以内にすべての内容をまとめられる。
でも、100行かけて書きたいことが、30行で収まるようになってしまった。
そんなもんじゃないのに。
もっともっとあふれ出る想いがあるのに、こんな字数じゃ足りないはずなのに。
昔は「もう4000字いっちゃった。読みづらくなっちゃうし、このパートはこの文字数までにして続きに回そう」なんてやってたのに。
いつの間にか、薄く広げられなくなってしまった。
目の前にあるのは綺麗にたたまれたお話ばかりで、
どう? こんなに綺麗に折りたためるようになったのよ、と思いもするし、
どうして折りたためたものを広げられないのだろうと焦りもする。
折りたたむ力と広げる力
どちらの力も手にするには、あるいは本当に自分の力にするためには、時間や余裕がまだまだ足りないのかもしれないし、決意が足りないのかもしれない。
お話を書けるようになりたいね。